Golden Hearts Publicationsについて
ご覧いただき誠にありがとうございます。
楽譜出版事業の「Golden Hearts Publications」を運営しております、ONSAの梅本周平です。
このページではONSAの事業の一つでありブランドでもある「Golden Hearts Publications」についてお話させていただきます。
■Golden Hearts Publicationsの方針
・お客様が違法コピーなど著作権法に抵触しないで済むような商品を提供する。
・有名や無名、人気があるかそうでないか、といったことにこだわらずに「作品そのもの」を見て、良いと思った作品を出版する。
・新作だけでなく、すべてのお預かりした作品を、責任をもってプロモーションしていく。
・吹奏楽を中心に、クラシック音楽のより豊かな幅広いレパートリーの提供のために尽力する。
・人数が極端に少ない部活動や吹奏楽団も、見捨てない。
・より多くの方がクラシック音楽を楽しめるような編成を模索していく。
■Golden Hearts Publicationsが目指すところ
近年、日本では、若い作曲家さんや、まだ無名の作曲家の方も、以前と比べて楽譜が出版されやすい環境にあると思います。
これは出版社の数が増え、作品の取り合いや、作曲家の囲い込みのようなことが起きていることと関係している印象があります。
レパートリーが増えるという面では良いことですが、「新作をたくさん出すこと」「カタログを増やすこと」が目的となってしまうと、作品の質については玉石混交という形になります。
Golden Hearts Publicationsは海外向けのストアも運営しており、特に「日本だけでなく世界の多くの国でも受け入れられるようなクオリティ」を感じられるかどうかを作品選別のひとつの基準としています。
これは選曲する際の個人的な好みに左右される面も多いのですが、幸いなことに、海外の色々な国の方からもご注文を頂いています。
マーケットを日本だけに絞らず、世界的に活躍できる人材の優れた作品に機会を与え、世界中のより多くの演奏家の方に演奏していただけるよう、ともに歩んでいきたいと考えています。
日本人の作品だけでなく、海外の作編曲家の作品もGolden Hearts Publicationsでは出版を行っています。より多国籍なラインナップで、作品を預けていただいている作家さん同士で刺激を与えたり受けたりできるようなブランドになることを目指しています。
■運営者(梅本周平)略歴
高校生の時に吹奏楽と出会い、吹奏楽部に入部。大学でも吹奏楽を続ける。
大学卒業後は、事務機器やインターネット回線を扱う販売代理店で営業を担当。その後、コールセンター勤務を経て、主に吹奏楽のCDや楽譜を主力商品とする会社でネットショップを担当。東京から広島へと移住(転勤)。その後は広島で吹奏楽とは関係のないいくつかの会社で主にネットショップ担当として勤務。
2015年頃から、育児の都合で自宅でリモートワークを開始。東京にいた頃勤務していた吹奏楽関係の会社の仕事を手伝うかたわら、日本のネットショップ向けのブログや、海外の作曲家に向けての英語ブログを開始し、海外の作曲家とのネットワークが出来始める。
2016年、吹奏楽を中心とした情報サイト「Wind Band Press」を、「ONSA」の屋号で開業。
大学卒業後も吹奏楽を続ける友人たちのほか、多くの吹奏楽愛好家の役に立ちたいという思いで「Wind Band Press」の運営を続ける。(現在Wind Band Pressは「ウェブメディア」という、情報サイトとは少し違う形で継続中)
2017年、ONSAの事業のひとつして、楽譜出版ブランド「Golden Hearts Publications」、小売店ブランド「WBP Plus!」を開始し、現在に至る。
[人柄]
曲がったことが嫌いで、筋を通すことが好き。大のロック好きであり、様々なビジネスのアイデアをロックから学び、生き方についての思想もロックから学んだことが多い。好きなバンドは数え切れないが、最も好きなバンドはザ・ローリング・ストーンズもしくはザ・イエロー・モンキー。基本的に花柄などの派手なシャツを好むが、夏はカート・コバーンのTシャツを着る。
[資格]
三級知的財産管理技能士
■Golden Hearts Publicationsを立ち上げた男の話
駆け足ではありますが、ONSA開業、そしてGolden Hearts Publications事業の立ち上げまでの私のお話をしたいと思います。「どんな人がやっている商売なのかな?」ということを知って頂ければ幸甚です。
1. 吹奏楽との出会い
私が吹奏楽と初めて出会ったのは高校生の時です。ロック少年だった梅本少年は、高校生になったらロックバンドを組んでドラムを叩こうと企んでおりました。(中学生の時に名古屋から親の転勤の都合で東京に引っ越したので都立高校に行きました)
そして高校に入学して間もなく、各部活動が新入生へのアピールを行う「新入生歓迎会」がありました。吹奏楽部はポップスを演奏し、そこにはなんとドラムがあるではありませんか。先輩が軽やかにドラムを叩いておられるではありませんか!(そしてなんと軽音楽部が存在しなかった!)
少年は「吹奏楽部ってその辺のロック好きより音楽に詳しそうだし、タダでドラムを教えてもらえるのではないか」「ある程度習ったら退部してロックバンド組めばええんやし」と考え、吹奏楽部に体験入部をしました。パートはパーカッションです。当時はパーカッションという言葉も知らなかったので、ひたすら「希望パートはドラムです」と言っていました。
パーカッションの練習を1日体験したのですが、ドラムには触らせてもらえず、メトロノームに合わせてスティックを練習台に打ち付けるだけで1日が終わりました。
「つ・・・つまらん!」
そう思った少年は退部を決意し、先輩に「やっぱり入るの辞めます」とのたまうのでした。
そこに颯爽と現れたのは、テューバの先輩。美人です。この年、テューバ志望の新入生がいなかった彼女は、ほかのもう一人の美人の先輩を連れてきて、少年を誘惑するのです。
「君、テューバをやらないか」
意味がわかりません。テューバって何。だがしかし、美人にめっぽう弱い少年は、先輩に部室に連れて行かれ、テューバを吹くことに。しかもなぜか音が出てしまいました。ここが人生の分かれ目です。
先輩たちは狂喜乱舞です。「君はテューバをやろう、そうしよう」と盛り上がっています。少年は断るのが苦手です。特に喜んでいる美人を落胆させることは出来ない。
こうして少年は(やや不本意ながら)吹奏楽の道へと引きずり込まれていくのでした。
2. 吹奏楽・・・面白いんじゃないか?
とはいえ渡された譜面を吹いても、さほど面白くありません。テューバあるあるなんでしょうか。同学年の友人が楽しそうなメロディを吹いています。「難しいー」とか言ってるのです。こちとらメロディもなけりゃ難しくもないわい、ということで、「僕の人生これでいいんだろうか」と思い、ギターを買って家で練習する日々が続きました。
あるとき、いつものように譜面が渡されました。個人練習ではよくわからなかったのですが、合奏をしてみるとこれがなんだかすこぶる面白い。テューバも結構おいしい。なんだこれは、作曲家の名前も読めないしたぶん死んでる人だけど、良い曲をありがとう、俺は今やっと吹奏楽が面白いと思えたぜ!
その時演奏した曲がヤン・ヴァンデルローストの「フラッシング・ウィンズ」でした。(死んでない)
その体験をきっかけに、それなりに部活にも顔を出し、楽しい高校生活が過ぎて行くのでした。
2年生の時に、「クラリネットの音って良いなあ」と思い、部活に内緒でクラリネットを買いましたが、テューバと違って音は出ませんでした。オッパキャマラドです。(そもそもセッティングが間違っていた)
3. 「君、吹奏楽やってたやろ」
大学に無事合格し(私の世代は人口が多くて大変だったのです、いわゆる氷河期世代)、私は「もう吹奏楽はいいや、クラリネットも買ったしベニー・グッドマンになるんだ」とジャズ研のブースを探していました。
大学のキャンパスでは入学シーズンはキャンパス内のあちこちにサークルや部活動のブースがあり、おびただしい数の勧誘を受けます。だがしかし青年の目指すはただ一点、ジャズ研です。
しかしこれがまたキャンパスが広く、ジャズ研のブースが見つかりません。フラフラと歩いていると、陽気な関西人とエンカウントしました。
「君、吹奏楽やってたやろ!」
「え、なんでわかったんですか」
「そういう顔してんねん、ほないこか」
というわけで吹奏楽部のブースへ強制連行です。
そこで偉そうな先輩に「当部は全国大会の常連校であり、毎年金賞を・・・」などと説明を受けるのですが、高校時代は地区予選銅賞が恒例の部活で、誰も全国大会の話などしなかったので、青年は吹奏楽コンクールに全国大会があることも知らなかったですし、金賞がどれだけ凄いのかも全然わかっておりませんでした。そんな次第で、先輩の話は興味なし。「気が向いたら行きます」といってその場から逃げたのでした。
しかしジャズ研が見つかりません。
そこで「とりあえずクラリネットの吹き方がわからないから、吹奏楽部で吹き方を教えてもらって、それからジャズ研を探しても良いんじゃないか」と考えました。同じ轍を踏むとはこのことです。
そして吹奏楽部の練習室に行ったのですが、異様な空気、例えるなら蜘蛛の巣です。青年は捉えられ、そのまま吹奏楽部で4年間を過ごすことになったのです。(なお単位が足りず大学には5年通いました)
あのとき陽気な関西人に「君、吹奏楽やってたやろ!」と言われなかったら今の私はいないので、感謝ですね。
4. 吹奏楽の仕事がしたい!
大学卒業後は、事務機器やインターネット回線(ADSLとか光とか)の販売代理店に就職しました。就職氷河期だけあって秋まで就職先が決まらず、ようやく内定が取れた一社がそこだったのです。自宅は東京都町田市、勤務地は神奈川県平塚市。ほんとに遠かったです。
大学で濃い4年間を過ごしましたので、もう吹奏楽からは足を洗おうと思っていたのですが、朦朧とする意識の中、帰り道に「通勤中に読む本でも探そう」と本屋に立ち寄ったところ、「楽隊のうさぎ」という小説の文庫本が平積みになって大展開されておりました。あらすじを読むと吹奏楽の話のようです。
「吹奏楽かあ」と思いながらもとりあえず読みました。すると不思議なもので、大学卒業後も連絡を取っていた友人のうち数人が、今でも社会人吹奏楽団で楽器を続けていたり、教職について吹奏楽部の顧問になるべく奮闘していたり、ということが思い出されるのです。普段は彼らのことを考える余裕もない毎日でしたが、「楽隊のうさぎ」がきっかけで彼らの存在を思い出したような感覚でした。
その時すでに営業の仕事を通じて「人の役に立つということは素晴らしいな」という価値観があったのですが、どうせなら社会に出てもまだ吹奏楽をやっている、まだ吹奏楽に関わっているような友人たちの役に立つ仕事がしたいなと思うようになりました。
そこで、大学時代に仕事でつながりのあった吹奏楽関係の会社の方をたまに呼び出して飲むようになりました。数ヶ月くらいかけて、「梅本と一緒に仕事したいわ」という言質を取ることに成功したので、会社を辞めました(今でいうブラック&ハラスメント地獄のような会社だったので)。
そしてなんやかんやあって、吹奏楽関係の会社に社員として参加するようになったのです。
5. 八方塞がりで開業
開業、ときくと、何か崇高な理念があり、やりたいことがあり、その気持ちが抑えきれなくなって会社を辞めて開業する、というような印象があるかもしれませんが、現実はコントロールできない力に流されていくことがあります。
業界内で転職をし、広島に来て、吹奏楽から一旦離れたりしていましたが、やはり「吹奏楽以外の仕事はおもんないわ」と思っている自分がいました。吹奏楽の仕事大好きなんですね。
そして子供が産まれたりなんやかんやあって、育児の都合で妻が外、私が家、という分担になり、リモートワークを始めました。再び吹奏楽関係の会社の社員として、特例的にリモートワークをさせてもらっていたのです。しかし上手くいくときもあればそうでもないときもあり、このときは1年ほどでお別れとなりました。
さあ困りました。育児放棄は出来ないのでどこかの会社に再就職というわけにもいかないですし、ほかにリモートワークで僕が手伝える会社もありません。
「これはもう、自分でやるしか道がないわ」
そういうわけで、じゃあ何をやるか、というようなことを考えつつ、ONSAの屋号で開業し、まずは吹奏楽の情報サイトとして「Wind Band Press」というサイトの運営を始めました。「まあ広告収入で生きていけるやろ」と考えていたのですが、これが完全にリサーチ不足で、このときすでにメジャーな雑誌ですら広告がほとんど入っておらず、クラシック関係、特に吹奏楽というニッチな市場に特化したような会社に広告予算がほとんどない状況だったのです。いきなりピンチを迎えてしまった、というのがONSAの最初の1年でした。
6. Golden Hearts Publications誕生
ある時、Wind Band Pressを始める以前からFacebookを通じて知り合っていたベルギーの作曲家、ディートリヒ・ヴァンアケリェン氏(Dietrich Van Akelyen)から「日本で私の吹奏楽作品をプロモーションしてくれる出版社はないか」と相談を受けました。
国内の出版社が、ただでさえ多くの邦人作曲家の作品を抱える中で、日本では無名に等しい海外の作曲家の作品をプロモーションする余裕は、それほどないでしょう。そういう意味で難しい相談でした。
しかし氏の作品は大変ユニークで質が高く、なんとかして彼の「日本で演奏されたい」という願いをかなえるために力添えをしたいと考えました。
またWind Band Pressの運営を通じて多くの海外の作曲家と知り合うなかで、彼らが自分の作品が海を渡り日本で演奏される、ということに強い関心を抱いていることも分かりました。
海外では大手出版社に作品を預けず個人出版社を立ち上げたり自費出版を行う作曲家も増えており、国内代理店ではそういった作品を扱うところは多くありません。(作曲家側が代理店を通さないスタイルを取っている場合もあります。)
そこで、このような、様々な個性やスタイルを持つ多くの海外の作曲家の作品を国内で代理印刷しプロモーションすることで、国内の作編曲家にも新しい刺激を与え、将来の作品の質の向上に貢献するとともに、演奏者側においても選曲の幅を広げて頂けるのではないかと考えました。
輸入ではなく国内で印刷する権利を得ることで、少しでも安く、早く、安全に楽団に楽譜を届けることが可能になります。
もちろん「今は海外がホリデー・シーズンだから出荷されない」という国ごとの休日による遅配の問題も解消されます。
この点について多くの海外の作曲家に尋ねたところ、多くの反応があり、契約を交わし終えた海外の作曲家が最初のラインナップとなり、「Golden Hearts Publications」という名前で楽譜の印刷代行および出版の仕事を始めることとなりました。
その後は、印刷代行だけでなくGolden Hearts Publicationsからの出版作品も増え、現在に至っています。
最後に:
近年、日本では、吹奏楽譜をメイン商材とした、「何か新しいことをしよう」という意欲に満ちた新しい出版社もいくつか生まれており、既存の出版社もそれぞれ「何か新しいこと」を模索しているように思えます。
しかし、そうは言うものの、新興も既存の出版社も含め、吹奏楽に関しては「邦人作曲家の作品」かつ「全日本吹奏楽コンクール自由曲向け」の作品に取り扱いおよびプロモーションが偏重している傾向があります。(ポップスを主とする出版社ですら例外ではありません)
室内楽の場合は「アンサンブル・コンテスト向け」の作品、ということになります。
これはそこに需要が集まっている以上当然の施策です。
また、コンクールそのものが悪というわけでもありません。
全日本吹奏楽コンクールがやアンサンブル・コンテストがあったからこそ日本の吹奏楽は独自の発展を遂げたと考えるべきでしょう。
コンクールの隆盛の中で特にスクールバンドに注目が集まり、1998年に始まった「響宴」や、さらにはそれ以前に開催されていた「吹楽」などの活動の結果、今の日本の吹奏楽の環境が整ったということだと考えます。
それらは決して良い悪いではなく、発展の結果なのです。
一方で、海外に目を向ければ、今なお数多くの個性豊かで質の高い作品が生まれ続けています。
しかし現在の国内の需要が特にコンクール自由曲、邦人作品に傾いている中では、輸入楽譜の取扱店も海外出版社の在庫を多く持つことは難しくなっています。
お取り寄せの場合でも、すぐに納品される楽譜もあれば、1か月ほど待たなければいけない場合もあり、納期は様々です。
その結果、演奏する側としても海外の楽曲を聴く機会も減り、コンクール自由曲や演奏会の選曲の候補にも入れにくい側面があると考えられます。
「音楽に国境はない」とは使い古された言葉ではありますが、実態として自分たちの側で壁を作ってしまう、作れてしまう状況にあるわけです。
そのような状況下で、あらためて国境を無くす、日本も海外も関係なく同じように情報を扱うことを目的のひとつにして、ONSAの屋号で私は開業し、吹奏楽・管打楽器の情報サイト「Wind Band Press」の運営を開始しました。
また日本国内の作・編曲家の作品でも、上述のように主な需要が「全日本吹奏楽コンクール」や「アンサンブル・コンテスト」であることから、良質な作品にも関わらず需要と合致しないなどの理由で出版に至らない、または出版社の十分なバックアップを受けられない作品もあると思います。(バックアップを受けられないわけではないです)
そうした日本国内の作品についても、コンクール向きかそうでないかに関係なく、シンプルに良質な作品を取り上げプロモーションすることで、国内の出版社に刺激を与えられるのではないか、もっと業界を活性化できるのではないかと考えました。
さらには、少子化の影響で団員数も少なくなっている楽団が多い昨今、邦人作曲家・編曲家の海外への進出を強化し、コンクール以外の新しいビジネスチャンスを探し求め、より彼らにとっての創造的な活動の場を獲得し、文化の発展に尽力していくべきであろう、という結論に達しました。
こうしてWind Band Pressに加えて新たな事業として「Golden Hearts Publications」が誕生したのです。
まだ企画段階の事項も多いですが、実現したいことは山積みです。
皆様のご支援を、どうぞよろしくお願い申し上げます。